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「馬上酒造」 杜氏 村上和哉さん

熊野町で130年続く酒蔵「馬上酒造」。
先代の意志を受け継ぎながら、日本酒の新しい展開を模索する杜氏の村上和哉さんに酒造りのこと、地域のことなどをお聞きました。

馬上酒造(店内)

・村上さんのご出身はどちらでしょうか?
はい、僕は熊野町じゃなくて、出身は広島市になります。
熊野町は広島市内も全然近いし、暮らしも住みやすいですし、いい場所だなと思います。

・熊野町に来られるきっかけは?
自分は広島市出身で、大学在学中から酒蔵に入り、10年間広島県の会社で働いてました。その後、滋賀県の酒蔵に移って4年間働きましたが、その酒蔵をやめて地元広島で酒造りができるところを探していたんです。ちょうどその時に、存在は昔から知っていたけど、お蔵にも来たことないし、お酒も飲んだこともない熊野町の馬上酒造にいざ来てみたら、とても良い蔵だったんです。

最初に蔵を見学させていただいたんですが、そこにすごい伝統的な道具があって、自分は広島や滋賀の酒蔵以外にもいろいろ蔵を見てきましたが、今まで見たことのない、使ったことのない道具が未だに残っていたんです。広島でも、無くなってしまった道具がここにはたくさんあるんですよ。うちが最後の一軒みたいな。
馬上酒造が、そういう道具を使うのをやめてしまったらその道具はもう広島からなくなってしまうんで、そうなるんだったら、やっぱり自分が使っていくことで馬上酒造も道具も残していくことができるというのが1つのきっかけかなと思いますね。

・馬上酒造さんには広島に戻ってすぐ入られたんですか?

滋賀県の酒蔵を退職して、広島に引っ越す時には馬上酒造で働くことが決まっていたので真っ直ぐ熊野へ。
当時は滋賀の酒蔵をやめてこれからどうなるんかみたいな、若干不安もあったりしましたが、実際に熊野に来てからは、本当になんとかやりたいなっていう気持ちになりましたね。

馬上酒造は今年2023年で130年になるんですけど、馬上さんが奥さんと2人で長年やってきて、70歳も超えて当時は蔵を畳んでしまおうかと考えていたみたいです。結果的に僕が入ることで続けていくという可能性にかけてもらいました。

・お仕事についてお聞きしますが、馬上酒造さんは何名くらいで働いているんですか。

酒作りに関しては、僕と2名います。若い子が1人、埼玉県から来てくれていますね。

・酒造りの労働時間や働き方は実際どのようになっているんでしょうか。
まあ夏場の時期は、蔵というか会社によってまちまちなんですけど、うちで言ったら、土日は休ませてもらってます。酒造りの時期になると、寒くて酒造りに適した良い期間に作るんで、その良い期間に集中して1年分のお酒を作ってしまうので休みがありません。今年は10月25日から5月6日ぐらいまで、1日も休みはなかったです。正月も大晦日も絶対に何かしてました。

・それは大変ですね!

まあ、蔵によってはシフト制にして、日曜日休みとか、誰かは休めるようにするんですけど、うちはシフトが組める人数がいないし、自分が責任者ですから見ないといけないんで。伝統的な酒造りはやっぱりどうしてもそういう風になっていきますね。なかなかブラックですよ(笑)。

・馬上酒造さんの酒造りの特徴やアピールしたいところはどこでしょうか。
そうですね、伝統的な道具を使っていることもそうですし、 ここの蔵は人間が色々コントロールができるわけではないんですよ。そういう設備が整っているわじゃないんです。ただ、蔵の環境として、熊野町は冬がすごく寒いところなので、本当に酒作りが向いています。そういった気候を生かしたり、馬上酒造のおかれている地域環境が、良いお酒になっているというのを、飲む人には感じてほしいなと思いますね。
そうした特徴以外にアピールしたいところとしては、決して自分がここのお酒をこうやって変えたろうみたいなことは全然なくて、かと言って、以前から馬上さんがやっているレシピをまるまるコピーしてっていうのもしていないんです。引き継ぎながらも、ここの環境に適した手法を落とし込んでお酒を作っているところですね。もし馬上酒造の「大号令」ってこんな味だなと感じたら、この熊野の環境がそうさせてるのかって想像してもらえたら嬉しいです。

・そもそもなぜ酒蔵というか、酒作りをしようって思ったのか
元々両親が2人とも普段からお酒を飲む家庭で育ち、自分も子供の頃からそうやって親が飲んでる姿を見たり、田舎に帰ったらたくさん人が集まってお酒を飲んだりしているところを見ていて、普段ちょっと怖い親戚のおじちゃんが、お酒を飲んだら、何かえらい機嫌よくて、楽しそうにしているのを見たりしていく中で、お酒に対してのイメージが元々良かったんです。それで自分が実際飲むような歳になった時も、ビールよりどちらかというと日本酒の方が美味しく感じていました。そんな美味しいものを作る仕事っていいなと思っていたら、大学のゼミの先生の知り合いが酒蔵の社長してるから、ちょっと行ってこいって、繋いでいただいて。電話してみたらとにかく1回見に来たらと言っていただいて。それが初めて酒蔵を見た経験でしたそしたら、もう自分の今まで知らなかった世界がどーんと広がって、これはもう絶対やりたいなっていう気持ちになりましたね。人が喜んでるというか、陽気になるというか、なんかそういうお酒の場というか、コミュニケーションというか、そういうのがイメージとして良かったというのがこの世界に入ったきっかけですね。


・こちらに移住されてからどれくらいなんですか。

移住してからは、2年経ったところですね。2021年に引っ越しましたので。

・環境もガラッと変わったと思うんですが、移住して自分の考えや変化などはありしましたか。

うーん、そうですね。環境の変化は広島から滋賀に行ったときもありましたけど、仕事の面で言うと、杜氏として酒作りの現場のトップになりました。今までは自分の上に杜氏がいて、その下で働いてる「蔵人(くらびと)」という従業員というか、部下だったんですけど、今、経営自体は馬上さんで、製造に関しては自分がトップになって全体を見たりとか、人に指示を出すようになったのが大きな変化ですね。

・熊野町に住むようになって1番思い出に残ってることはありますか。
そうですね。嬉しかったこととしては、これまで馬上さんが地元で応援されながらやってきて、でもなくなってしまうという状況を皆さんやっぱり寂しいと思っていたところに、僕が来たことで、酒蔵が残るっていうのを喜んでくださる方がたくさんいました。ありがとうとか、よろしく頼むよみたいな感じで言ってくれたのが、やっぱり嬉しかったですね。それと地域の夏祭りにブースを出してくれと言ってもらえたりして、熊野地域の一員になれたかなと思います。

・熊野町の好きな場所やお店などはありますか?

景色を眺めるのが好きなんで、筆の里工房の大池から熊野町の景色を見るのが好きですね。子供とも散歩したりするのもいいですね。大体虫取りカゴ持って、子供と歩いてたら僕です(笑)。

・最後に、これからの酒造りや馬上酒造としての目標はありますか。
そうですね、しっかり馬上酒造が残っていくっていう形を作っていって、自分としては、これまで自分がやってきた技術を教えたり、自分も人に教えてもらったりしながら伝えていくことがきたらと思っています。残していきたい道具もあるので、それらもちょっとずつ復活していったりとかもできたらなと思いますし、酒作りは古い手法を取り入れているので、今後はまたちょっと違う伝統的な古い手法に挑戦してお酒にしていきたいなという思いもあります。
自分は物を作っている人間なので、物作りの楽しさというか、喜びっていうのがあって、営業で色々な地域に行きますけど、やっぱり作ったお酒自体が、この熊野の土地から飛び立って、色々なところで飲んでいただけてるっていうのが、一番嬉しいことですね。


・本日は長い時間取材対応していただきありがとうございました。

https://bajoshuzo.com/
株式会社 馬上酒造
広島県安芸郡熊野町城之堀2−5−16
TEL:082-854-0104
mail: sake@azeing.com
注文用fax:082-854-8852


「熊野町つなぐプロジェクト」
広島市立大学「2023年度いちだい地域共創プロジェクト」採択事業

広島市立大学の学生や地域の方と一緒に、熊野に暮らす「人」や熊野で活躍する「人」にスポットを当て、その「人」の想いや取り組んでいることを通じて、地域の魅力を伝える情報発信を行っています。
・熊野町つなぐプロジェクトInstagram:https://www.instagram.com/kumano_tsunagu.p/?igshid=OGQ5ZDc2ODk2ZA%3D%3D


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