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筆文字創作「藤庵」藤山弘之さん

熊野町で書道アーティストとして活躍する藤山弘之さん。作家活動に至った経緯やご自身の活動などについてお話を伺いました。

・藤山さんのご出身は熊野町ですか? 
はい。熊野第一小学校、熊野中学校で、そこから海田高校に行きました。
 
・書道アーティストとしてどのような活動をされているんでしょうか?
はい、書家として基本なことをしっかりやっていますが、どちらかと言えば、今は展覧会とか出品もやめていて、個人でアート活動に比重を置いて創作活動をしています。
 
・藤山さんの名刺に書かれてる「藤庵」と言うのはどのような意味があるのでしょうか?
書道するときの雅号で、自分の書家としての名前をこれにしようって決めたんです。この名前を付けた理由としては、もともと自分は古典の練習から、中央展に出品をしたり、普通の書家と同じように勉強をたどってきたんですけども、団体に所属して30 歳ぐらいの時に大きい病気をしまして。33歳ぐらいの時には、もう死ぬ手前まで行ったんですよ。
 
・ええ、そうなんですか!
奇跡的に助かったんですけど、その時勤めていた印刷会社も回復してから辞めて、何か自分にできることっていうんですかね、こうやって2回目の命をもらったと思ってですね、字を書くんだったら、もっと人のためになる字を書きたいという気持ちになったんです。
でもいざ人前に出ようにも、当時は人前で話すのも本当にダメだったんですよ。それでもストリートパフォーマンスのような人前に出てちょっと字を書いてみたりしていく中で、そこで知り合った人にアートの世界に引っ張り込んでもらいました。その人が僕のことを親しみを込めて、藤やん、藤やんって呼んでくれていたんです。 それで藤やんっていうのをちょっともじって、「藤庵」と漢字にあてて作家名に使っています。
 
・書道は小さい頃から習われていたんですか?
そうですね、最初はお習字程度です。みんな当時はそろばんやお習字ぐらいしか習い事がなかったんで、親にはどちらも習うだけ習わしてもらっていました。それからずっと書道の方には縁があって、高校の担任の先生も書道の先生だったりとかですね。なにか「書」へ引っ張られるような感じがあったんですね。
 
・高校卒業後もずっと書道を続けられていたんですか?
そうですね。ここまでやっていくとは思ってはなかったんですけど、毎年展覧会への出品はしていました。

・普段はどのような生活をされてるんですか。
今はサラリーマンしながら、アート活動をしています。平日日中が思うように活動できないのは大変ですね。印刷会社を辞めた後、家に1番近いところで働こうと思いまして、熊野の筆会社へ勤めるようにしました。絵筆の会社に入り、今も筆の製造で働いています。

・普段の創作活動では、書道用の筆だけでなく他の筆なども使われるんですか?
もう使えるものはどんな筆でも使いますし、筆以外のもの使います。

・書き心地が変わったりしますよね。
全く違いますね。やっぱり油絵とかでも、豚の毛とナイロンの毛とか全然違いますよね。イタチだとか馬の毛だとか、ああいう茶色い毛と羊毛って言われる白い毛、 これは全く違う質なんで、書き味が全然変わってきます。固い線、柔らかい線、空気の含み方とか色々関連してきますね。
 
・制作場所はあるんですか?
家の自分の部屋を使っているので狭いんですが、最近では新年互礼会のパフォーマンスで100号のキャンバスの大作を作ったりとかですね、外では大きいものもやっています。
 
・文字を書くときは何かきっかけが毎回あるんでしょうか?
そうですね。書こうと思った時というのもあるんですけれど、印象に残ったことや自分に対して驚きがあった時とか、そういうものに関しては 特に自分へのメッセージとしても残したいですし、人へ何か伝えるためのメッセージとしても書いていきたいという思いがあります。
 
・作品を発表する時はどのように発信されているんですか?
今はインスタグラムですね。それとtwitter。twitterは今日の一言みたいな日本語を主体とした言葉のメッセージを書いてる感じです。インスタはどちらかと言えば、作品集になるようなイメージで使っています。広島市内に出ていた頃は、 ビアバーで酒飲みながら字を学べる場所を作ってくれんかっていう話があって、1ヶ月に1回稽古みたいなイベントをしていました。その後、呉の方とか、安佐北区の可部の呉服店さんなどで、イベントをしながら発信させていただいています。
 
・これまでの作家活動を通して、1番記憶に残っていることや思い出はありますか?
そうですね、その都度その都度、どれも大事なんですけれども、やっぱり書道家だけではない、いろんなジャンルの人と出会えたことかなと思います。それと今回、JCATというアメリカで活動されているアート団体があるんですけど、そちらから出品のお話をいただき、グループ展に参加させていただくことになりました。自分の作品をニューヨークのチェルシー地区のギャラリーで展示させていただきます。その展示が終わって、またどんな感情になるかなっていうのをすごい楽しみにしています。

・書道を通して1番湧き出てくる感情や気持ちは何でしょうか。
「書」に求めるものは人それぞれです。 やっぱり続けていくためにはお金が必要なので、商売はどうしても絡んでくるとは思うんですけど、そういう中で技術を磨いていく。それぞれが磨いていくんだけど、こいつ頑張っとるよ、俺もやらにゃいけんよねとか、 心の中で応援もするし、負けとれんよねっていう気持ちもあるし。もっと向上したい、自分も技術を上げていきたいっていう気持ちが常にあります。
それに、見返したいじゃないですけど、発表をどんどんして、お互いが負けないという気持ちでいる時が伸びる時だと思うので、 その感情や関係性がいいなといつも思ってます。
 
・まさに切磋琢磨ですね。
そうですね。はい。
 
・熊野町内に藤山さんのような書道アーティストの繋がりはあるんですか?
熊野町自体、創作活動されている人があまりいないんですよね。作るものはすごく素晴らしいものを作るんですけれど、書家として活動している人は熊野に残っていないんですよ。みんな県外に出るんですね。広島市内や東京に行ったり。 一応、熊野町として関係は残しているけど、活動場所は東京という人はいます。
僕は、熊野町で活動したいという思いがあったので、熊野を長々と出ないでいますが(笑)。SNSが発達してきてからは、やっぱり発表の仕方が変わってきました。実際、インスタだけでも十分見せ方によっては個展ができるので、熊野を出ずに今後も活動していきたいです。

・もっと熊野町で書道やアート作品を発表できる機会があればいいなと思いますか?
それは強く思います。表には出てないけど、すごい実力を持ってる人も熊野町にはおるっていうのは聞くんですよ。だけど、やっぱり発表するツールがなかったり、展覧会場借りたらお金がかかったりするから、くすぶっていて、だんだん潰れていくっていう人が結構多いとも聞くので、そういう人達がもっと自由に発表できる場が熊野町にできたらいいなと思います。
 
・藤山さんは、ご病気も含めて、色々とご苦労されながらここまでやってきたことが、何か言葉になってくるんでしょうか?
それは、やっぱり言われますね。俺が、俺がの作品ではないよねっていうのは言われますし、僕は人と話をして、なんかちょっとええ言葉ちょうだいって聞かれたら、目標をしっかり持ちんさい、夢を持ちんさいと言います。その夢を達成するために何をせにゃいけんかっていうのが、やっぱり自分の、その人の生き方になってくると思うんで、とにかく目標を持ちんさいと言いますね。

・最後に、熊野町のおすすめスポットやお気に入りの場所はどこかありますか?
熊野町には、実はお城の跡地が何か所かあるんですよ。意外と知られていないんです。萩原の方など色々あて、僕の息子がお城大好きなんです。それで僕も教えてもらったんですけど。調べていったら結構面白い場所が熊野町には残ってますね。
 
ありがとうございました。

「藤庵」藤山弘之さんのSNSはこちらから
・Instagram:https://www.instagram.com/h.fujian/
・Twitter:twitter.com/@fujian_no_sho

「熊野町つなぐプロジェクト」
広島市立大学「2023年度いちだい地域共創プロジェクト」採択事業

広島市立大学の学生や地域の方と一緒に、熊野に暮らす「人」や熊野で活躍する「人」にスポットを当て、その「人」の想いや取り組んでいることを通じて、地域の魅力を伝える情報発信を行っています。
・熊野町つなぐプロジェクトInstagram:https://www.instagram.com/kumano_tsunagu.p/?igshid=OGQ5ZDc2ODk2ZA%3D%3D

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