見出し画像

1907年に創業し、中四国地方で最古の花火屋である「牛尾煙火製造所」。                 熊野町の工場で、4代目社長の牛尾彰彦さんに花火のお仕事を中心にお聞きしました。

・本日はお忙しい中ありがとうございます。牛尾さんの花火製造のお仕事に関して色々とお聞きしたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。
今はシーズン的に花火らしい作業工程はないんですけどね。よろしくお願いします。(取材時10月末)

・まず最初に、牛尾さんは熊野町のご出身なのでしょうか。
広島市です。

・そうなんですか。ではこちらに移住されてきたんでしょうか。
広島市内の横川から通勤しています。
元々、横川の三篠神社の横に先祖代々およそ数百年住んでいた家があったそうなんですが、そこに曾祖父が花火工場を建てました。ですがなかなか花火は市街地でできない仕事なので、徐々に中広や三滝に場所を移して、その後現在の熊野町に移転しました。先代からなので60年前です。

・牛尾さんで何代目になるんでしょうか。
私で4代目になります。

・工場の移転先として熊野町を選んだ理由はあるのでしょうか。
先代が土地を探していて、たまたま人を通じてここの土地を紹介していただいたと聞いています。
それから縁ができて60年ぐらいここで事業させていただいて今に到っていますね。

・牛尾さんご自身はずっと今のお仕事をされているんですか?
大学卒業後は川崎市でサラリーマンをしていましたね。
元々サラリーマンで広島を長く離れていて、当時は神奈川県に住んでいました。

・そうなんですね。ではなぜ家業を継ぐことになったのでしょうか。
子供の頃から3代目の親父がずっと家を継いでもらいたいと言っていましたが、色々ありましてね。
家に家業があると反発したり、職人の親父とうまくコミュニケーションが取れなかったりしますが、私の家もそんな感じだったので、半ば反発して、受験をして外に出たんです。就職して外に留まったと言うことです。

そうは言っても、実家に家業がある人はいつかぶち当たることですが、自分のやりたいことをやり続けるか家業を継ぐか、私はその決断を逃げてきて30代後半になってぶち当たりました。親父が脳梗塞で倒れてしまったんです。その時に家業や家族とひょっとして向き合ってなかったのかなという思いがあり、せめて未だ父親がしっかり会話のできるうちに膝を突き合わせて話そうとしましたが、結局、あまり多くを語らない父親だったのでコミュニケーションがうまくいかないまま亡くなり、それがきっかけで家業を継ぎました。

・そうだったんですね。牛尾さん自身はこの家業を継がれた年齢は何歳ごろなんですか。
40歳です。

・花火製造の仕事は多くの人が知らないと思います。牛尾煙火さんでは具体的にどういうことをされているんでしょうか。
原材料から火薬を配合し、数日を費やし数回の天日干しを経て部品を作り、花火を組み立てていきます。コロナが流行し始めてからは仕事が激減したことで休業せざるを得ない日もあり、 製造が滞ることもしばしば。事業の継続も厳しさを増していきギリギリしのいだ感じでした。新型コロナの収束が見えてきてから、徐々にお仕事をいただけるようになって、需要がコロナ前までようやく戻った感じです。

受注元は、例えば市や町の大きな花火大会もあれば、個人ベースの依頼もあります。依頼をいただいて、その現場現場に応じた規模や玉の大きさ、予算に応じての数量もありますし、それらをカスタマイズしてどういう花火を上げていくかという設計をしていきます。もう少し具体的に言うと、どのような種類の花火をどんなタイミングであげるか(いつどこまで連続であげるかとか、何分何秒で一斉に開かせるかなど) プログラムするという訳です。現場の予算や現地の状況に合わせて、コンピュータプログラムを組む場合もあれば直に花火筒に火種を入れて(直接点火)あげる場合もります。また、実際に現地でどういう配置をするか、現地では何人かで作業をしますから皆に分かりやすく、どう並べるかよくよく考えながら設計していきます。

設置が完了して、配線も然るべきところに接続されているなど全部確認し、それからイベント開始まで機します。こちらのタイミングで花火をあげてくださいということもありますし、主催者様がキューを出されるという場合もあり様々です。当然、花火を打ち上げた後には撤収作業があります。この土日は3カ所の現場だったのですが、実は日曜日は広島市立大学さんで上げさせていただいたんです。

・そうだったんですか?!学祭ですね!知りませんでした。
毎年やらせていただいています。
先日の土曜日は、「江田島湾海上花火大会」という比較的大きな現場ともう1件道の駅でありましたが、大きな資材がたくさんある現場だと後片付けも大変です。

・花火はとても綺麗な形や色がありますが、その作り方は代々伝わったものなのでしょうか?どのように色や形を考えるのか興味があります。
そうですね。基本は決まった形というのがあって、こうやって置いたらこういう形になるというように大体現象がわかっています。また、炎色反応で出る色が決まります。例えば紅だったらストロンチウムで、青だったら酸化銅、黄色だったらナトリウムだし、オレンジだったらカルシウム。緑だったらバリウムといった感じです。いずれにしても、万全を期して意図しない化学反応が起きないような安定した物質であることが望ましいという訳です。

これは(上写真)「星」と呼ばれる色や光を出す部品です。この中に「割子」もしくは「割火薬」という玉を割ってこの「星」に火をつける役割をする火薬を入れます。配合レシピはまた別なんですが、写真のように中心に寄せていくんです。

・すごい!化学ですね。色々な知識も必要だと思いますが、花火製造をする時に何か免許が必要なのでしょうか。
事業所としては製造の許可を所管役所からいただく必要があります。担当者としての作業上では必ずしも免許はいりませんが、管理者としての資格は幾つか必要なものはありますね。

・なるほど。管理責任者として必要なんですね。牛尾さんがお仕事をしていく中で大変なことはありますか?
花火屋特有だと思いますが、機密性の高い建物の中で扉を閉め切って冷暖房をしっかり効かせて作業することはできないので、夏は大いに暑くて冬は大変寒いです。屋外で作業することも多いです。現場によっては朝早く出て、夜遅く帰ってくるようなこともあります。それこそ江田島では台船で海の上にずっといる必要があります。夏場はもう照り返しや台船自体が熱くなり待機する時間も長いので大変ですね。広島や江田島、呉も三原もそうですが広い土地がないので、台船を海に浮かべてやるしかないんです。
また、当然のことですが、基本的に危険物なのでそれを念頭に置いて作業しないといけません。

・現場の範囲としては、広島県外など遠くに行かれたりもするんですか。
基本は各県に業者がおられます。私個人としてはちゃんとテリトリーを守りつつ協業し切磋琢磨して向上していくことがベストだと思っています。強引に仕事を奪ったらいずれ取り返されます。どの業界でもそうですが、それは安さ競争に陥っていくパターンであり、これは品質の向上に資するものではありません。結局のところお客様も業者も誰にもいいことがないのです。それよりも、協力関係であった方がより発展的であると言えますね。その場凌ぎのマーケット取り合いは意味がないと考えています。花火の良さを知っていただくためには、協業してレベルの高いものをより多くのお客様に観ていたくことが必要だと思っています。

・花火を作る会社は、広島に何件かあるんでしょうか。
昔は何件かあったみたいですが、毎日観るようなものではないのであまり採算が取れないことから廃業していったようですね。

・お仕事に関して、面白いことや楽しいことなども教えてください。
そうですね。やったらやっただけのリターンがあるところじゃないでしょうか。例えば、土曜日に道の駅で花火をあげさせていただいたんですが、そうするとお客さんや発注者様からお礼のメールをいただくんです。それがとっても嬉しいですね。
仕事と言うのは大人なのでやって当たり前で、基本的に褒められることはないですよね。でも想いを込めてこの仕事をしていると褒めていただけるわけです。これって本当に有り難いことだと思います。

それと、コロナになってからはプライベートな花火イベントがすごく増えました。行政が開催する大きな花火大会ではなく、個人さんや町内会様などが主催されるイベントです。子供や地域を元気づけたいという思いで花火をたくさんやっていただいたんです。
花火は下向いていたら観えない訳ですので、花火を観るために上を向いて、明るく楽しく、そういう気持ちでいてくれればと私も申し上げておりましたが、その頃は、たくさん直筆のお手紙をいただきましたね。 

ある現場では大きな音楽花火をさせていただきましたが、何万人もいる中で、自分の設計する花火が始まって、音楽とぴったり合って思い通りにできた時は自分ながら思わず感動してしまいました。皆さんがそれを観て感動していただいている、いいねと言ってくださっている。それを体感するわけです。サラリーマン時代にはなかなかそんなことなかったように思いますね。

「花火の力」と、我々花火師は時々言うんですが、みんなが上を向くような力、元気が出るような力が、花火にはあったんだなと、コロナで改めて気づかされた感じですね。

・最後に、熊野町の魅力的な場所やお店があれば教えていただきたいです!
お店で言えば、私が好きなのはうどん屋さんです。「よねだ屋」というのがあり、そこのうどんは美味しいですよ。天ぷらも。お昼はすごい行列ですね。出汁が美味しいから何を食べても美味しい。親子丼を食べても。あとは「らいちょう」という蕎麦屋さんもおすすめですね。

熊野町に関して言えば、小さな頃は熊野に来るのが億劫だったんです。年の瀬に先代とお餅を供えに工場に来たものでしたが、そんな季節だけに寒くて殺風景な所(工場)だなと思っていたからです。サラリーマンをやめて家業を継いだ当初は全く右も左もわからない感覚でしたが、工場のあるここ熊野町で過ごしていくうちに住むのに何も困らない良いところだなと思うようになりましたね。海はないけど山や自然はたくさんあって、冬も寒いけど雪がそんなに積もるわけではない。大きなデパートや行列の絶えないような有名なお店は多くないかも知れませんが、生活に過不足は無いんじゃないですかね。

・長い時間取材させていただきありがとうございました。



株式会社 牛尾煙火製造所
【事業内容】

打揚花火・仕掛花火の製造販売、打揚げ
神楽用発煙筒・吹火(ふきび)
消防訓練用・信号用発煙筒、その他火工品の製造販売

【工場】広島県安芸郡熊野町平谷5丁目136
【電話】082-854-2451【FAX】082-854-4375
【E-mail】 ushio.fw@gmail.com
【HP】https://ushio-fireworks-f.jp/

【instagram】


「熊野町つなぐプロジェクト」
広島市立大学「2023年度いちだい地域共創プロジェクト」採択事業

広島市立大学の学生や地域の方と一緒に、熊野に暮らす「人」や熊野で活躍する「人」にスポットを当て、その「人」の想いや取り組んでいることを通じて、地域の魅力を伝える情報発信を行っています。

・熊野町つなぐプロジェクトInstagram:


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!