茅葺き屋根の家に暮らす 佃(つくだ)さん
熊野町で茅葺き屋根の家に暮らす佃(つくだ)夫妻。
日本の伝統的な家屋である茅葺きの暮らしや熊野町の魅力などについて伺いました。
・最初にご自宅について伺いたいのですが、こちらの茅葺き屋根の家は築どれくらいの建物なのでしょうか?
特定はできないですが、おおよそ1810年前後に建てられたと言われています。 今年で210年ちょっとぐらいだと思います。
・とても綺麗なご自宅ですが、カフェなどはされていないんですか?
してないです。ずっと生活、生活の場所として使っています。お米作って、畑して、ここでまあゆったり生活してますよ。今から涼しいからいいんですよね。夏はもう全然涼しいです。クーラーはいらないですね、風が抜けるので。
・昔はこの辺りもこのような茅葺き屋根の家がたくさんあったのでしょうか?
熊野町全体がね、ほとんどだと思います。もっと言えば、熊野は藁葺き(わらぶき)が多かったんですよ。お米を作った後の稲藁ですね。ほとんどの農家では稲藁や小麦藁で屋根を葺いていましたよ。ただ、稲藁は朽ちるのがすごい早いんです。だから、だんだんと熊野も茅に変わっていったんだと思うんですけどね。昭和30年代から40年代頃にね、ほとんどの家がトタンや銅板に葺き替えたり、瓦に替えたりしていった経緯がありますね。
昔は熊野町に屋根師さんと言われる職人が何百人もいたと言われています。山口の方へ行 ったり、九州の方行ったり、 出稼ぎで全国へ行っていた経緯があるそうです。熊野町自体、現存する茅葺きの数は全国的に見ても非常に多い自治体であることは間違いないようですね。
・熊野町は茅葺きの家が多いんですね。熊野町の魅力の一つになりそうです。
私が昨年調査したんですが、被せ屋根(トタン・銅板)の家も含めると、220戸 前後あります。 それは、おそらくこんな小さな町だけど、日本でも珍しい町であると言っていいと思います。そういう中で、熊野町には、これをなんとか活かす方法はないものかと、職人さんや大学の先生らが動いてくださっているんですが、さて、どう活かすか、というのが課題ですね。
熊野町に観光スポットがなかなかないんですよ。いわゆる観光地と言われるようなところが。個人的には「筆と茅葺き」がいいんじゃないかって、ずっと何年も言い続けてますが、その間にも茅葺きがどんどん倒されて、無くなったり、ひどい状態になっています。住んでいる人も高齢化し、自分で直すにも費用がすごくかかるんです。この間にもどんどん空き家になっていき、手遅れな印象ですね。
・茅葺きの葺き替えは、一般住宅の屋根補修のような金額ではできないんでしょうか?
元々は1番安価で手軽で、身近にあるものを材料にやってたんです。しかも自然に還る。今のエコの考え方から言うと1番最先端ではあるんですよ。
ただ、今では茅の材料が近くにない。職人がおらんということがあるんですが、 実際材料はいっぱいあるんですよね。茅にしても葦にしても。ただ、職人さんの目がそっちに向いていない。今、自宅の茅葺き屋根に関わっていただいてる職人さんは、全国を飛び回って仕事をしている方にお願いしています。
・茅葺きの屋根は1回を直した時にどれくらい長持ちするものなんですか?
(奥様)だいたい20年ですね。その間にも傷んだ所を時々、差し茅と言って補修してもらっています。全くしなかったらダメですね。やっぱり日当たりが悪いとか湿気が多かったりとか、条件によって減り方が違ってきます。
・茅葺き屋根をつくる茅刈りイベントなどもできれば人も集まりそうですね。
(奥様)そうですね。茅刈りに興味がある人は意外といるんですよ。しんどいと思うんですけど、刈りたい人がいるんですよね。たくさん集まってイベントを開催しているところもありますね。
・ご自宅のように熊野の茅葺きを残していきたいという思いはありますか?
元々は地域に本物の「茅葺きの家」を残すことを考えていたんです。色々調べていくと、茅葺きの世界では有名な福島県にある「大内宿(おおうちじゅく)*」も、 ここと同じように瀕死状態の状況でした。そこから役場の職員さんが後継者を育成し、自分たちでトタン屋根を剥がして、重伝健に入って 国の指定を受けながら茅葺きに戻して、今では全国的な観光地になっています。もう職人さんに頼っとったらダメだから、役場の人が立ち上がって、自分達が屋根張りを習って、 みんなで教え合って、自分たちで直すという仕組みを作って、今のような素晴らしい観光地になったそうです。熊野もそういう観光地として、筆はもちろんこの地域に君臨していますけど、 他に何があるのか。若い頃から地域を見てきて、筆はもちろん大事なんですが、例えば「茅葺きと筆の里」言うかね、熊野の観光PRにぴったり一致するんじゃないかな。
*「大内宿(おおうちじゅく)」
江戸時代に福島県会津若松市と日光今市を結ぶ重要な道の宿場町として栄えました。現在も江戸時代の面影そのままに茅葺屋根の民家が街道沿いに建ち並び、この景観を引き継ぐために店舗兼住居として生活しています。
・ご自宅が映画「熊野町物語 親父からのラブレター」に出ているんですか?
映画監督の佐々部清監督もここへ来られて、 一目で気に入ってくださったんです。この家の話をした後に、すぐシナリオを書かれたと思うんですよ。7月に来られて9月に撮影しましたから。この家は映画の重要なシーンに使っていただき、熊野筆を物語に活かしながら。そういう目のつけどころが素晴らしい。あの映画はやっぱり示唆に満ちとる映画だと思います。
ただ、あんまり宣伝ができていないんですよね。全然知らない人もいっぱいいるみたいですし。佐々部監督も亡くなられてしまいまして、なんともこう、制作の意図なんかを町民に語ってほしかったなと思いますね。当時を思い出すと、今日の取材のように、この建物についてお話ししたり、この部屋何しよったんですかとかね。パッと見て、それから脚本書いとってたからね。さすがに映画監督だなと。色々と町内を行かれたそうなので私はもうロケ地候補から落ちると思ってたんですが、蓋を開けてみたら自宅が主人公の実家の設定になってるんです。映画の重要なシーンに使われていたからびっくりしました。気に入ってくださったんだなと思って。
「熊野町物語 親父からのラブレター」
広島県熊野町を紹介した物語映像。 2015年に熊野町が制作。
監督:佐々部清
ナレーション:石坂浩二
出演者:平野貴大・加藤理恵・伊嵜充則・月影瞳
・ご自宅の庭に元々大きな桜の木があったとお聞きしましたが。
(奥様)今2代目がちょっと大きくなってますけど、もう私たちが生きている内には間に合わないから、次の世代になると思うんですよ。元々200年過ぎた大桜が、庭のど真ん中にあったんです。 それで、もう観光地みたいになって、うちは一般の普通の家なんですけど、もう桜って言ったら日本人誰もが好きでしょう。
それで茅葺きと桜だから、余計皆さんが気に入って。口コミでどんどん広がって20年ぐらいずっと春はもう大変で、それでも皆さんが喜ぶと思ってずっと頑張り続けてきたんですけど。 2週間ぐらい桜が咲いてる間に何百人も来られますので、私たちも朝は人の声で目が覚めて。そんな生活がもう何十年も続いて頑張ってきたんですけど、桜が3年前に枯れたんですよね。 私たちも肩の荷が降りたというか、寂しい半面、ああ頑張ったよと。皆さんにね、喜んでもらったと思って。でも、今は茅葺きに興味がある人が来られてますね。
・熊野町に今後期待したいことはありますか?
そうですね。地域の映画を改めて発信してほしいです。それに茅葺き屋根を保存することもしてほしいですが、実際にはもう維持できないと思います。ただ、そんな中で被せ屋根でもいいから活かしていくというのは良いアイディアだと思います。長野県の青鬼村というところが取り組んでいますね。集落全体が全て被せ屋根で国の補助を受けながら維持しています。集落が集中してるから条件がいいんですけどね。
・最後に、熊野町に長年住まわれてきて、町内のおすすめのスポット紹介したい場所などはありますか?
ぜひ、みなさんに紹介したい場所が2ヵ所あります。先ほどから熊野は茅葺き屋根が数多く残っている地域であることを語ってきましたが、そのシンボル的な存在の2ヵ所です。
熊野第二小学校にある「茅葺きの水車小屋」と、川角地区にある「茅葺きの貴船神社」です。
熊野第二小学校の水車小屋は、第二小の大先輩で有名な屋根師さんが、後輩のために学習教材として作ってくださったものです。そして、川角地区の貴船神社は各地区の神社が被せ屋根に葺き替えた中で、茅葺きのままで守ってこられているんですよ。
どちらも珍しく貴重な茅葺き屋根ですがから、許可を得て、現地に出向いて見学して欲しいですね。
どうもありがとうございました。
*今回取材させていただいた佃さんのご自宅は、映画「熊野町物語 親父からのラブレター」の撮影場所として使用されました。この映画は現在、youtubeでも見ることができますので、以下URLから入りご覧ください!
URL:https://www.youtube.com/watch?v=b1BZ1FAVj98&t=1734s
「熊野町つなぐプロジェクト」
広島市立大学「2023年度いちだい地域共創プロジェクト」採択事業 広島市立大学の学生や地域の方と一緒に、熊野に暮らす「人」や熊野で活躍する「人」にスポットを当て、その「人」の想いや取り組んでいることを通じて、地域の魅力を伝える情報発信を行っています。
・熊野町つなぐプロジェクトInstagram:https://www.instagram.com/kumano_tsunagu.p/?igshid=OGQ5ZDc2ODk2ZA%3D%3D